音の責任 (修正)

僕のの大学には、ギタークラブとマンドリンクラブがあります。

ギタークラブはクラシックギターで、ソロにはじまり合奏まで幅広く活動しています。マンドリンクラブにもクラシックギターパートがありますが、マンドリンクラブは主に6パートで合奏を行い、ソロやデュオといった少人数アンサンブルは物好きが部内発表会で弾いたりする程度です。

最近では訪問演奏会で小人数編成の演奏をやったりしているようですが、定期演奏会のような大きな演奏会ではやっていません。

 違う楽器を比較することになりますが、感覚的にはギタークラブの人の方が上達が早いように思えます。

オーケストラとアンサンブルでは求められる役割が違う為、比較してもしょうがないかもしれません。
マンドリンのギターやセロ、ベースパートは、リズム隊のような役割も多いわけですし。

 

しかしやはり隣の芝は青いのでしょうか、ギタークラブの人たちは楽器や音楽に対してすごく勉強熱心だと思います。

例えば、ギタークラブでは定期的に外部から講師を招いてレッスンをしてもらってるらしいです。マンドリンクラブでは、たまにOBが練習を見に来てくれる程度で、お金を払ってレッスンしてもらうという発想はありません。

どうしてこんな差が出来たのかを考えてみました。

例えば、「大人数と少人数では音の責任の割合が違う」ということ。
大人数でのオーケストラでは、たった一人の自分が間違えようが全体にあまり影響がありません。

しかし、ソロやデュオといった1パート1人のような形態だと、「今この旋律を引いているのは自分だけだ」という状況ばかりになってきます。

人数が増えてくると責任も分散されるのかも。

twitterか何かでこのような言葉を見たことがあります。

「部下に仕事を任せるとき は、責任も一緒に背負わせること」

なるほど。僕の出身高校の教訓で、「自由は責任とともにある(うろ覚え)」という標語がありました。
責任が人を成長させるという事でしょうね。「が んばらなきゃ」「自分がやらなきゃだれがやる」みたいな意志が芽生えるのでしょうね。

 

大学1年生で楽器を持ち始めて数か月という頃、合奏に参加したときによく先輩に、「弾けなくてもいいからね」と言われました。
僕が居たサークルは、毎年の入団人数は多い方ではありません。
やめられてしまっては困るからこう言ってリラックスさせようとしたんでしょう。

しかし僕は、「はなか ら戦力として期待されていんだな」と感じました。
とても悔しかったので、帰省時も実家に楽器を持って帰り、毎日弾いていました。
1年の頃が一番練習していたかもしれません。
練習の甲斐あってか、当時1年生にしてはまあまあ弾けていたかなと思います。

そんなことがあったので、現役で後輩を持つようになった当時、「弾きたいところは全力で練習して」「ここだけは弾いて」と言うようにしていました。

とにかくチヤホヤはしませんでした。厳しくしたつもりはありませんが、中途半端にやるぐらいなら辞めろぐらいの気持ちで接していました。

そんな作戦がうまくいったのかどうかは知りませんが、同パートの後輩たちは熱心に練習してくれたと思います。遅刻や無断欠席は多かったですが(笑)